歩くコンサート1 中島夏樹

タイトル:
浅草ノスタルジア

作者:中島夏樹

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場所:浅草周辺

解説:
浅草は不思議な魅力をもつ場所である。
たくさんの人の記憶が交差している街だ。
狭い路地を一人で歩いていると、誰かの記憶や、かつて聞こえていたはずの音が蘇ってくる気がしてくる。
その昔、隅田川には一銭蒸気が通っていたし、六区にはひょうたん池があった。パチンコ屋のところには凌雲閣がそびえ立っていた。
朝の浅草、昼間の浅草、深夜の浅草。古い浅草に、新しい浅草。
この地に育った人、訪れた人に、記憶を語ってもらい、また、浅草を愛した文豪たちの言葉も取り入れた。

時を超えて、その場所に浮かび上がる記憶の声たち。
現在聴こえてくる声や音にも耳を傾けながら、是非散歩をしてみてください。


東京市役所市史編纂係『東京案内(下)』1907より

語り手:

大谷 みつ江
1924年(大正13年)9月17日生まれ。浅草の松葉町(現在の松が谷)に生まれ育つ。近所にはたくさんの芸人たちが暮らしていた。終戦直後、疎開先から浅草に戻り、焼け野原になった観音様の前で靴を売った。しばらくして、伝法院通りでおしるこ屋を営んだ。現在、96歳。戦前戦後について、記憶を語る。

仲村 敏子
1934年(昭和9年)2月18日浅草田島町(現在の西浅草2丁目)に生まれる。
母が始めた髪結いの「柏家」を継いで、4年間、夜間の高等学校に通いながら働いた。母は日本髪を結っていたが、継いでからはかつらの時代に。美容室は「SO-y HAIR」と名前を変え、現在も営業している。

松倉 久幸
1935年(昭和10年)長野県生まれ。浅草演芸ホール会長。
1968年、東洋興行社長に就任。「浅草演芸ホール・東洋館(旧浅草フランス座)」を率いる。2018年、「江戸まち たいとう芸楽祭」実行委員会顧問就任。著書に、『浅草で、渥美清、由利徹、三波伸介、伊東四朗、東八郎、萩本欽一、ビートたけし…が歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた。』等がある。


鈴木 三恵
1940年(昭和15年)11月30日生まれ。80歳。北区滝野川に生まれる。
生まれも育ちも東京。台東区内の銀行に、結婚するまで8年間勤務。毎日のように浅草に寄ってから帰る。その後35年間佐倉市在住。三人の子供を育てる。10年前から浅草に住み始め、現在に至る。

笹川 英男
1942年(昭和17年)台東区浅草生まれ。担ぎ手。三社親睦会初代会長。現最高顧問。
昭和23年の三社祭復活の際から担ぎ始め、様々な神輿会の設立に尽力してきた。
浅草寺裏で、ちょっとマニアなお祭り用品や作業着などを揃えた、和柄ショップをやっています。

皆川 紀昭
1942年(昭和17年)生まれ。浅草松が谷で、大正時代から続く質屋を継いだ。現在は「みながわ楽器」となる。東京大空襲の際には蔵だけ焼け残ったので、焼け野原にほったて小屋を建てて、質屋を再開。かつては芸人やバンドマンの街だったため、たくさんの人が楽器を預けにきた。

高野 謙一
1946年(昭和21年)東京根岸に生まれ、根岸に育つ。子どものころから物を集めるのが好きで、大人になってから郵便局のスタンプにはまり、テーマや名目ごとに風景印などを集めるために日本中の郵便局を訪ねて歩いた。NPO法人まちづくりたいとう監事、台東区シニアライフ応援計画メンバー。

苗代 清子
1952年(昭和27年)台東区浅草桂町(現蔵前4丁目)に生まれる。
木造平屋建て、2階屋の街並みは今では14階建てのマンションに一変しました。それでも下町の暖かさは残っているようです。

大河原 忍
1956年(昭和31年)生まれ。女。両祖父母から浅草育ち。
観音様だけが浅草じゃない。花柳界と吉原と山谷と被差別部落も生活圏。
社会勉強は小学校で終えた。

市村 政晃
1969年(昭和44年)生まれ。10年前から台東区の銭湯「有馬湯」の家業を継ぎました。
同じ下町でも、浅草、上野周辺は「近所」ではなく、「お出かけする町」でした。
長いこと台東区に住んでるのに、先日生まれて初めてアメ横の地下街に入りました。
ディープで面白いお店が並んでいて‥「もっと早く来れば良かった」と思ったりして(笑)
変化の多い下町エリアですが、まだたくさんワクワクする場所があります。
ぜひ「ささやかな冒険」をする気分で、台東区に遊びに来てください。

イチムラ ユカリ
1970年(昭和45年)墨田区の生まれ。乳児のうちに花川戸に越し、育つ。
現在は夫とともに竜泉の銭湯を営んでいる。

朗読:

高橋 禅
1934年(昭和9年)目黒生まれ。
小さい頃、叔母さんに浅草の六区に連れて行ってもらって、初めて映画を観た。時代劇だったと思う。戦後は浅草フランス座にも行きました。新仲見世通りの叩き売りで時計や万年筆を買ったりもしました。
(久保田万太郎『雷門以北』『夜店ばなし』より)

伊藤 万美子
1968年(昭和43年)生まれ。出産を機に台東区松が谷へ。
児童館や眼が不自由な方へ読み語りをしております。
盆踊りが大好きで、夏は区内で行われるあちらこちらの会場に出没します。
(沢村貞子『私の浅草』より)

ゴンジ
1989年(平成元年)5月18日生 31歳 B型 
出身:長野県 座右の銘:どんなことでも楽しむ
はじめまして。毎回、生年月日を調べその都度、今の自分の年齢を知る男。ゴンジです。
私は周りの人達に恵まれたな。と、つくづく思う今日この頃…。私自身、小心者の豆腐メンタルなので、なにか物事をしてる時は楽しむことができるのですが、その前後で余計なことを考えてしまい、勝手に凹んでるという…。そんな人間です。
(金子光晴『浅草十二階』より・江戸川乱歩『浅草趣味』より・川端康成『浅草』より)

Special Thanks: 山本 啓輔 中島 由佳利

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